小学校卒業後はおばあちゃんと当時1万1千円のボロアパートに住んでいた。ウルトラマンエースが当時やっていて超見たかったのにテレビも無く見れなかった。おばあちゃんの1000円くらいの小さいラジオがいつも流れているだけっだった。松田聖子のRock‘nRougeと長山洋子の春はSA-RA SA-RAと吉田照美のラジオ番組が流れてたのを思い出す。
そう言えば当時4畳半に3年ぶりに帰ってきたオヤジと3人で住んでいた。まだ中学は始まって無かったか。その頃に突然精通が起きた。困った。今まで汚れることを気にしてなかったのに。仕方なく出そうになった時にチンコの根元を強くおさえて出ないようにするという荒技を使うことにした。無理やり出ないようにするのも体に悪そうで怖かったが汚れる方がめんどくさかった。相変わらず布団にこすりつけるというやり方で出るとパンツが汚れてしまうから。
いよいよ入学式、元々住んでた小岩に戻ってきたので知り合いはまあまあいるはずなんだが、恥ずかしがり屋の私は行くのがとてもイヤだった。登校初日に北小岩小学校で同じクラスだった女子、当時学級委員だった女子に、あんた北小岩にいたでしょ?って性格の悪そうな顔で言われた。1人で不安な私に話しかけてきたその女は超やな感じだった。
履いていくクツがよく分からず。青い運動靴を履いて行ったんだが。他の人は全員白いクツだった。後に白じゃなきゃいけない事を知った。超恥ずかしがり屋の私がこんな目立つことを><ありえない。初日のことはよく覚えてないが体力測定の時50m7.8秒。懸垂10回だったのを覚えている。50mは大したことはないが懸垂はけっこうできたほうだ。オヤジはよく体を鍛えていて、その影響でけっこう筋トレしてたから。クラスでは知り合いもなく静かに大人しいのに体力測定でちょっと良かったからギャップからかコンバットって呼ばれるようになった。なんでもいいけど、1人でさみしい感じだったから関心を持ってもらって嬉しかった。
しばらくして、おばあちゃんは私が何を言ったわけでもないがボロボロの家に住んでるのを友達に恥ずかしいだろうと思って引っ越してくれた。でも風呂は無かった。
そのアパートでも私の超恥ずかしがり屋発動。出てしまえば気にならないのだが家から出るのを見られるのがなぜか超恥ずかしくて、毎朝学校行く時におばあちゃんに中学生が誰も来ないか見てもらって、中学生が来ないスキを狙っておばあちゃんのいる窓とは反対側の玄関から家を出ていた。
通学路が一緒だったクラスメイトの2人とちょっと仲良くなって通学するようになった。オタク入ってる感じの男子だったが。一人の子とはたまに遊ぶこともあった。
クラスに164センチで、その子がいた小学校では腕相撲が一番強かったらしい子と腕相撲した。完全に互角だった。当時153センチの小さい私にしてはよくやったほうだろう。
ある日突然話したこともないクラスメイトが家に遊びに来た。とりあえず、遊んでいたがけっこう楽しかった。彼とよく遊ぶようになった。いたずらもけっこうしたような気がする。2人で思いっきり標識をひっぱってちょっと曲げたことも、賽銭泥棒もしたこともある。後になんで私んとこに突然遊びに来たの?と聞いたら、友達いないから俺の言うこと聞くかなと思ってだって。興ざめである。ま。それでもその後もけっこう遊んでいた。
ある頃からか学校で悪グループにちょっかい出されるようになった。ヤダなー。私はそいつらに叩かれると理由はよくわからないが反撃して叩いていた。それを逆に面白く思ってか、コイツ叩くと反撃してくるんだぜみたいになっていた。学校行くのイヤになりそうだった。ある日人気のない階段の横で友達と遊んでいると、そいつらが通りかかった。思った。『出た』と。案の定ちょっかい出された。初めてちょっかい出してきたそいつは私の心のヤンキーランキングではけっこう上位のたぶん学年で3本の指に入りそうな強いやつだった。反撃したらいつもとは違い思いっきり胸ぐらつかんで壁に押し付けて来た。ちょうどその時女教師が通りかかり。そいつは手を離した。いいタイミングで来た先生。私は心の中でその先生を褒めたたえた。しかし、その強いやつにも反撃したせいか、それからはほとんどのやつにちょっかい出されなくなっていた。結果良かった。
クラスにいた弱いヤンキーデブいた。面白いやつだった。クラスの弱い奴には超強気でよくいじめてたりしてたが、強い奴にはよく『ごめんなさい、ごめんなさい』と超情けない声で床に転がっていた。実にこっけいだった。そいつがある日クラスのある男子に『ぽんたかにちょっかい出して見ろよ、こいつ反撃してくるから面白いぜ』的なことを言ったのである。するとちょっと叩き合いみたいになった。どうなったかは覚えてないが。それが今の一番の親友である。
当時不本意ながらおばあちゃんの指示で長髪だったんだが、それとちょっと運動が出来たせいか、一部の女子にキャーキャー言われてたこともある。その女子2人組とかが廊下とかですれ違うとコソコソ俺を指さしてしゃべってる。友達と一緒にいる時にそんな事されるとメッチャ恥ずかしくてイヤだった。内心はもちろんメッチャ嬉しいんだが。
クツの中に1度だけその子らの誰かのだろう。ラブレターが靴の中に入っていた。しかし、クラスで一番イバってる中レベルのヤンキーデブがいたんだが、そいつに見られて取られそうになり結局破れた。あまり覚えていない。内容は覚えてないが、名前が書いて無かった。┐(´-д-`)┌名前書いてくれよ。
長髪がイヤだった私が髪をけっこう短く切った。すると私のファンだった子達は、ガッカリと私に関心が無くなってしまった。キャーキャー言われるのはイヤだったんだが。なんかガッカリである。人生最初で最後のモテ期だったのに。
成績のほうは200人中いつも190番台だった。ひどい時は三教科で20点行かない時もあった。勉強しないでしょっちゅう喋ってた。一度後ろの奴としゃべってて担任の先生に思いっきり背中叩かれたこともあったが、理科の先生だったので。全然頭に来なかった。私は理科が大好きで、理科の先生というだけで尊敬していたから。ある日朝礼の時私は悪気があったわけでも無いんだが。私だけ起立しなかったことがある。その担任の先生に裏に呼び出され思いっきり蹴っ飛ばされた事もあるが。やはり頭には来なかった。
あまり働かない様子のオヤジだったが、たまに遊びに連れてってくれる。花やしきに昔から何回か行った事がある。昔の花やしきは入場料がなかった。金が無いのかオヤジはいつも入ったはいいが、何もすることなく出ていくだけだった。ただの一回も花やしきでお金を使った事はない。江戸川の土手で相撲した時に強くなった~と言われとても嬉しかった。ある日オヤジに京成線で稲毛まで連れて行かれた。ふと見るとオヤジは出口とは反対方向のホームのはじっこに向かっている。そのまま階段を下りてホームから下りた。あっけに取られていたが。オヤジが戻ってきて『何やってるんだ!今度ついて来なかったら置いてくぞ』と言った。キセルの強要である。><勘弁してくれよ。しかしビビりながらもついて線路の外に出た。そのまま稲毛海岸に行って、ちょっと海を裸足で歩いた。そんなデタラメなオヤジだったが。オヤジが好きだった。
そんなオヤジ、どこで何してるんだかわからないがいつも夕方になると帰ってくる。聞いた事はないんだが、どうやら家にお金を入れてないようだった。なので食べるものもろくに無かった。ある日、冷蔵庫にお菓子的な食べ物があって、それを食べたら『お前食っただろ』とオヤジに言われた。そりゃ腹減ってるんだから食べるよね。夏休み、ロサンゼルスオリンピックを楽しんで見ていた。オヤジは働かずぐうたら寝てた。体が悪いわけでもないのに。食べ物に不自由していた。スーパーでカロリーメイト3箱脇にはさんで万引きしたりもした。その頃親友の給食を分けてもらったりしてた。彼にはお世話になった。生活保護受ければいいのにと言われた。ほどなくして親戚会議が開かれた。オヤジの妹とお兄ちゃんおばあちゃんの4人で。オヤジは出ていくことになった。一緒に暮らし始めてまだ半年も経ってないのにまたオヤジのいない生活。イヤだった。寂しかった。でも仕方ない。
それからすぐに生活保護を受けることになったので食には困らなくなった。
中一の頃、親友とズル休みして釣りに行ったこともある。
私は特に門限らしいものも無かったので夜1人で遅くまで外にいることも結構あった。親友は門限があったので、せいぜい家の前の駐車場でバットの素振りしてくると、ちょっと外に出るのが精一杯。
同級生の女子の事考えてオナニーしてたのは言うまでもない。家の近所のちょっとヤンチャな巨乳の女子。その子ももちろんネタになってた。一番お世話になった。今でもたまに思い出す。その頃仲良くしてたら超良かったんだが。1年生の時、女子と遊んだ事は一度もない。