ライオンハイジーンをやめてからファミマ、検品、AMPMなど他のバイトを転々とした。実はAMPMもほぼクビに近い形でやめていた。
以前そこに面接に行った事があるのだが、その時は落ちたんだが、その後に入った友達の紹介ですぐ入れた。廃棄は捨てなくちゃいけない事になっていたが廃棄で出るブルーベリーサンドがメッチャ美味しくてバレないように食べてた。ワックスがけも夜勤の時はしなくちゃいけないのだが当時も足が調子悪く、やらなくちゃと思いながらもあまり出来なかった。女子も何人かいてAMPMの仲間内に飲み会に誘われた事もあったが行かなかった。バカだった、女友達ゼロの私が女性と関われるチャンスだったのに当時24歳その時でも手遅れだったのに。。
突然のクビ宣告
同ビルにエネオス(スタンド)も併設されていた。そのスタンドの一人男性従業員がある日『飲み物どうぞ』と私に差し出した。私は昔から恩を着るのが嫌いだった、何かしらでお返ししなくちゃという気持ちになるのがめんどくさかったからだ。もらったか覚えていないが彼とは遊びはしないが仲良くなって良くしゃべるようになった。もう一人スタンドに好みの子がいてその子とは良くしゃべっていた。当時ほかの場所でも言われていたんだが、私はあまり愛想が良くなかったらしい、自分ではそんなに悪いとは思ってなかったんだが、ある日スタンドの仲良くなった彼がスタンドの人間みんな俺のこと嫌な奴って言ってる。『そんなに言わなくても』って言うくらい、と彼が言って頭にきて、そこからはスタンドの奴らがレジに来ても一言もしゃべらず対応していた。そのせいだろう、突然やめてくれと店長に言われた。店長とは仲が良かったんだが。
普通だったら突然のクビ、金銭的にビビる所だがおばあちゃんが生活保護だったので私の収入がゼロでもその分介護給付が増えたので安心して、また別の仕事を探していた。
アパートの大家さんが1階にいて建て直すから出て行ってくれと言ってきた。(何年か後になってもアパートは立て直してなかった。そこの息子たちが住んでいた。出て行って欲しかっただけのようだが私は風呂付きアパートに引っ越したかったので良かった)
それまで風呂の無いアパートで風呂屋が嫌いな私はもちろん風呂付きのアパートを選んだ。生活保護で決まっている金額より1万ちょっと高かったが不動産屋がウソでギリギリの額書いてくれて、そのアパートに入った。足りない分は生活保護の生活費から払った。
その頃にまた水道検針に戻った。歩き回るのは分かっていたので怖かったが始めてみた。なんとか大丈夫そうだった。その時、針の勉強をしている2,3個上のマラソン好きの同僚と知りあった。
久しぶりに戻った検針会社、宅配というんだが、昔はいなかった所長の息子が事務にいた。恐ろしく態度のデカイ奴だ、こんな奴ホントにいるんだ?テレビでしか見たことないと思ったレベルだ。もちろんみんなに嫌われている。どんだけ甘やかされてきたんだ。両親もいなく貧乏で体も悪い私はそいつの事をゴミのように思っていた。
ランナーと呼んでいた彼に針をやってもらってみた。当時ジム通いしてた時の後遺症的にお尻の右側面が常に慢性のコリがひどかったのだがやってもらうと随分よくなるではないか。さっそくやり方を教えてもらい針を少し分けてもらい自分で打つようになり。ピンポイントで凝ってる所に当たるとメッチャ気持ちいい。それから私の針生活が始まる。あいにく痛めている指や足には効果はなかった。でも慢性のコリにはメッチャ効くのが分かっただけでも良かった。
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