水道の検針をバイトを始める前からクビになった後の物語
最初で最後のサラリーマン
私は高校卒業後ライオンの子会社のライオンハイジーンで働き始めた。中学から一緒の友達と一緒に入った。その仕事自体好きでも嫌いでもなかった。ただ学校に募集で来ていた中で一番良さそうだったから。有名会社の子会社だし給料も悪くなかったから、私のいた工業高校にしてはいい方だった。
その会社は当時食器洗浄機用の洗剤を売っていて、それを使っているお客さんの店に行って、その店の洗浄機をメンテナンスするという事をメインでやっていた。最初は色んな所に研修に行かされた。一応向上心はあるし仕事ができれば給料も上がるかなとけっこう頑張っていた。帰宅後はゲームばかりしていたが。
その会社で取る気の無かった運転免許を取らされた。免許は死ぬまで取る気は無かった、車なんて体に悪い排ガスをバラまく公害物だと思っていたので、でも今では取っといて良かったと思っている。あれば何かと便利だ。お金は自分で払ったが仕事の時間中に教習所に行かされたので、時間的には得した気分。教習所はそれほどミスもなく卒業し残りは学科だった。練習問題では一度も合格点を出した事が無かった。自信のないまま落ちてお金がまたかかるのも嫌だなと思っていたんだが急いでいたので受けてみた><結局なんとかまぐれで合格だった。
人生初の殺意
その会社には1人大嫌いな奴がいてそいつと仕事場まで同行するのが恐ろしく苦痛だった。家でも学校でも罵倒なんかされた事のない私は、そういうのに慣れていなかった。(最近ニュースで見たが最近の子供は怒られ慣れていないので怒られるとすぐに会社をやめてしまう人が多いそうだ)そいつのムカつく言い回しが本当に嫌だった。
一度背中からそいつをドライバーでぶっ刺しそうになった事がある。ある日そいつがしゃがんで洗浄機を見ながら俺を怒鳴りつけていた。その時、私は右手にドライバーを持っていてそいつの後ろにいた。最後の一言を言われた時に恐ろしく頭に来てドライバーを頭上に振り上げた。しかしそこで考えた。こんな奴の為に人生を無駄にするのか?と。なんとかドライバーを振り下ろさずに済んだ。でもあと一回超ムカつく事を言われたらやってしまっていただろう。もしやっていたら後で後悔するのは確実だ。私はなんとか自分を抑える事ができた。しかし人間逆上したらなかなか自分を止められるものではない。そんな状況にいる人は仕事辞めるか上司か友達に相談したほうがいい。家族には言いづらいかもしれないが出来るだけ多くの人の助言を聞けば何か解決策は見つかるかも知れない。
ある日デタラメなそいつは仕事を早く終わらせ、『これから女に会うんだ黙ってろよ』と言った。まあ私も早く帰れるのは嬉しいが。ミスばかりして怒られてるアホ富。心の中と一緒に入社した同僚の前ではそう呼んでたそいつはすぐに仕事を辞めていった。私が仕事を辞めてからの話なんだが。
仕事はそれほど問題もなくこなしていたが。(ちょっと昔話)高校の時に握力が65キロくらいからなかなか上がらなくなってきていて。鬼のように力が強くなりたいと思っていた私は『どうしよう』と思い。知り合いからすごい握力の強い外国人の話を聞いて。1本づつ指を鍛えていると言う。よし私もやろうと両方の小指からトレーニングを始めたのだが、なんか痛くなり始めた。そこでやめれば良かったのに気のせいだろうと続けた。どんどん痛みが増してくる。気づいた時には治るのに5年はかかるほどに痛めていた。一番最初に痛めた体の部分だった。仕事ではけっこう楽しい事もあったんだが、アホ富と怪我さえ無ければ。。。
元々ぶっ壊れていた手で重い洗剤運搬で更に手を壊す
そんな悪い小指で食器洗浄機用の重い洗剤運ぶ機会のある会社に入ったのだが。洗剤は箱ごとだと10キロから15キロある。小指には力が入らない。力の弱い小指だがその1本が使えないだけで他の指に負担がのしかかる。ある日大量の洗剤を取りに行かされた。そして左の中指を痛めた。労災の事を教えてくれればいいのに一言も教えられず、当時まだ若かった私はそういう事など知らなかった。お金ももったいないし、そのうち治るだろうと医者にも行かなかった。労災を教えなかったライオンハイジーンを今でも恨んでいる。26年たった今も痛みで力仕事はできない。
力の使えない使い物にならない社員と化してしまった私。とりあえず、内務事務業をやらされたが営業で入ったのに、こんな事になってしまって会社にとても居ずらい。事務という場違いな場所にいるのが『営業で雇ったのに使い物にならない』と思われてそうで、結局入社10ヶ月で仕事を辞めた。今もい続ければ今よりはるかに収入があったんだろう。現在平均年収手取り170万位、ハイジーンにいれば今頃400万くらいあったはず、大した収入ではないが倹約家の私なら家も買えたな~。
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